ここからは人口受精からの妊娠のステップで、ここからも赤ちゃんは出来たものの流産せずに生き残ってくれるのかの戦いの始まりです。そこで、遅くはありますが、巷で有名な葉酸サプリというものを飲み始めました。
フランスでは有名ではないらしく
訳のわからないネットが勧めている薬を自己判断で飲んではいけないと旦那の意見にて、まず、一応スペシャリストの先生に聞いてから 飲み始めてよ と言われたので
先生に葉酸ってどうですか?と聞いたところ、あれって普通妊娠前から飲むものなのよと言われました。もう妊娠してるから遅いと思うけど悪くはないんじゃないということで、葉酸をネットでググって 良さそうなのを購入し、飲んでました。
それからというもの妊娠7週目まで不妊治療クリニックで流産しないように毎週注射を打たれ。
8週目からやっと普通の産婦人科に移動しましたが、私たちは不妊系列の産婦人科ではなく近くの病院に変えました。
紹介状を書いていただき、英語が喋れる先生のいる産婦人科に移動!
新しい産婦人科に移ると、初めにきちんとカウンセラーしていただきまして、どうやら以前は英語が喋れるお医者様がいたそうですが現在はいらっしゃらないとのこと、
いかがしますか?と言われましたが、
病院の先生や助産婦さんの雰囲気が以前いた病院とは違って、偏見もなくとても優しい方々だったので、ここに残ることに決めました。
(両方の病院ともそうだったのですが、 昔は待ち時間が非常に長くかかっていたそうなので、ネットで予約ができる制度をとりいれていました。 その制度はすごく助かりました。それでも全部終わるまでに2時間はかかりますけどね。一日かかるってことはないです。)
ところで、そもそも妊娠することに自信がない私は、いつ流産してしまうのかと不安と毎日戦っていました。でも、そんなことを仕事の人に言うと、中には流産された方もいらっしゃって、でも流産したとしても一回妊娠してしまえば次は生まれやすくなると言うふうに暖かい言葉をき、 とても心強かったです。公言していないだけで不妊治療を実際されていた人もいて、非常に励みになりました。
(パート)の人々の理解もあって、ここまでこれました。
それでですね、私の場合4週目からつわりが始まり、初の地獄を見ました。悪阻まではいかなかったものの、かなりきつかったです。
まさに、もののけ姫のエボシ様に看病してもらっている死の近い包帯ぐるぐるの人の気持ちでした、生きる屍状態。
私今、戦闘能力5ぐらいで、スライムの一撃で死ねる
みたいな。
その時は流産の恐怖を忘れ、生きることとの戦いでした。私は実際つわりで吐いたのは3回なのですが、一日中気持ち悪く、フラフラ状態、ほぼ食事はできず、水も気持ち悪くなるので、みかんの缶詰で水分をとったり果物をジューサーにかけて水分をとってました。(果物は食べれました。)
みかんの缶詰は添加物が入ってるからよくないとの母からの入れ知恵で途中グレープフルーツに変えました。気分が良い日はそうめんを少々 吐かなそうな 食事だけを選んで食べてました。もちろん掃除や夕飯など作れる状態ではなかったので、ほぼ料理ができない旦那はマックばっかり (旦那にとってはパラダイス)
それでも、働いていたのですが、立っているのがやっとと言う日もありました。そんな時も、旦那や職場の人たちが支えてくれました。
やっと妊娠できたのに、
もうやだもうやだつわりきついと泣いた日もあり、このまま食事の味もわからず死んでしまうのだろうか?と弱音を吐く日もあり、お風呂に入るのも、石鹸の匂いがきつくて髪が洗えず、食器洗剤の匂いも気持ち悪くなり、コンビニの匂いはもう最悪でコンビニの匂いで外でリバースしたり。歩いていても、杖をついているオジィちゃんにに抜かされる。電動の車椅子のおじいちゃん羨ましい。
でも世間では、つわりは病気ではない と言われていて、 つわりの薬なんて慰め程度にしかないとのこと。
今までいろんな病気にかかったけど、
一番辛い。
と思った。まず何より長さ長期戦というのが辛かった。
膀胱炎とかにもかかったけど、薬を飲むと1週間ぐらいで治って歩けるようになったし、私は健康そのもので、これまで経験した病気や入院もしばらくすれば治るものだったので、2ヶ月も3ヶ月も終わりのない辛さに耐え続けるのが辛かった。
今思うことは、お腹の大きい妊婦さんより つわりの酷い人に席を譲ってあげてと、
妊娠ランキンかなんかでも、お腹の目立たない2−3ヶ月が一番辛いと結果が出てるぐらい。マタニティーマーク大事です。
ぜひつけて歩いてください。
主張されればとっさに席空けますから!!
やはり、こう言うのは女性の方が理解があるものですね。